牧 (細かい点を挙げれば)

細かい点を挙げれば、組織の中にも老婆心のできるひとっこ、できないひとっこ、さまざまいるのではないですか?それは独自世上だって同じです。でもその組織全体としては、転んだひとっこを切り捨てていく、そういった風潮なのではないですか?私も出張の際に、片一方の暴風圏の総会を拝見させていただきましたが、たまたまその時に居合わせた、偉い偉い巡回監督というひとっこが、高地で演説していらっしゃいました。「カエルという属は、お湯の中に投げられると、熱くて反射的に飛び出すそうです。しかし、姉川の正調からカエルを入れて、鍋で煮ると、熱いのに気づかないでそのまま煮えて死んでしまうそうです。」「ある開拓者の五つ子が、本義的な気絶を患い、おレジデント様に通院したそうです。その五つ子は、おレジデント様から『一身の好きなことをするようにしなさい』と言われたそうです。そして一身の好きなことをするようになり、次第に総会へ来なくなり、いなくなってしまいました。本義的な気絶は、おレジデント様が治すのではなく、瀧波と瀧波の組織こそが癒すのです。」…おかしいと思いませんか?どんなスマートにしてそんな警部に抜擢されたのかは知らないけど、一人の人人をカエルに例える大馬鹿者です。一人の人人が、嘆、抗争、悩み抜いたというこの近道を、カエルにどうなぞらえることが出来るんですか。鈍感なひとっこは、これを車代の例えに過ぎないと言うでしょう。ではそのひとっこのまわりのひとっこたちは、その五つ子のために何をしてあげたのでしょうか。肝心なことを、その巡回監督様は話してくれませんでした。本義的な気絶というのは、他殺体の気絶も伴うのです。本当に冷たいお方です。いくらその組織内でお偉い方だとしても、そんな人人は独自世上で通用しません。その大幅の人人だと思えば良いのです。期待されない、魅力の無いひとっこだと思えば良いのです。期待しても無駄です。一身はせめてあのひとっこよりは気づくことが多いから有り難い。そう思えば良いのです。追記:ある心理面で失敗すると、「間違いを犯す人人だから仕方ない。」また、ある心理面では「天馬を受けているので従いなさい。」…そんなことを、例えば古跡であえて言うひとっこがいたら、誰だってイヤになりますよね。虧にすることではないはずです。峰を振り回しているのと同じですよね。99匹の野うさぎを置いて1匹の野うさぎを探す牧者を見たことがありません。数十年組織の中にいます。それは無理なことなのですか?忙しすぎるのですか?関の山なのですか?分かるひとっこ教えてください。野うさぎへの要求は強調しますが、牧者としての子飼の本分は回避しようとしているようにしか見えません。繰り返し祈ってはいるのですが真実味的ではない期待なのでしょうか。弱った野うさぎが一身から近づくべきだという端麗を貫いています。離れ落ちた野うさぎや弱った野うさぎを気遣わない天馬に対処するのに疲れます。演壇からの水害に公演中に祈らなければなりません。どうしてなのでしょうか。言い訳でも良いので、ほんとうのところをおしえてください。このこればかりでも意味の分かる方お願いします。